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皇族が東京を離れたら、危険の知らせだ。休養を理由に移動する。
皇太子一家は、どうやら那須らしいなあ。
富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。お山開きまこと結構。松の国 松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。
あせるでないぞ。あせると心配事出来るぞ。神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。神はうれしいぞ。旧九月八日とどめぞ。
九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。
世 見
江戸へ
<2011.9.6>
十八世紀には、江戸の人口は百万人を越えたといいます。今では東京圏には3650万人もの人が生活しているのを見ると、人間の力の凄さを感じますが、今更ながら徳川家康の凄さを感じます。室町後期に太田道灌が築いた江戸城に、家康が何故興味を持ったのだろうか?いや、きっと仕方がなかったからに違いない。確か、秀吉が国替えをさせたと記憶しているのですが、私の記憶は時折学びし事が本だったり不思議な世界の方に教えられたかが分からなくなります。
でも、今は手を止めず先に進む事に致しましょう。
家康の頭の中に太田道灌か源頼朝かと考えたかどうかは分からないが、家康は源頼朝の鎌倉を選ばず、東京・江戸を選んだのです。
今日はどうやらこの頃の江戸へ、不思議な世界の方が導いてくれるようです。
楽しみ、楽しみです。
「エェ、太田道灌時代の東京の地図を調べろ」ですって。
「家康が開削工事をする前の東京を知るのです」とも聞こえた。
420年も経つと、自然界は今の姿が本物のように思えて来るのですが、とんでもありません。それ以前に自然界が自然を作っているのです。
「道三堀には、気をつけなさい」
意味は分からないが、聞こえたから書いておきます。
「人が掘ったり埋めたりする事で、地盤が軟弱になる」とも言われておられますが、その掘ったり埋めたりした場所が、道三堀なの?そう云えば、道三の後に「堀」と云う字が付いています。
サテサテ、この場所へとまいりましょう。